2024/05/17 00:29


ミラノで開催された「THE OPENS: MADS ART EXHIBITION」展に出展させて頂きました。NYのタイムズスクエアにも広告が映し出されとても貴重な体験をさせて頂き、今回の経験は私の宝物です。

下記今回の展覧会で頂いた批評文を翻訳したものです。詩のようでとても綺麗な文章なので、よろしければご覧ください🌕✨


MIZUKA-OBOROZUKI

静かな夜、暗い空の毛布に包まれながら、あるスペクタクルが繰り広げられる。

神秘的で魅惑的な夜の茶会。蝋燭が踊り、壁に踊るような影を落とす。お香の煙が月に向かってゆっくりと昇っていく。

夜の暖かさの中、柔らかな畳の上に輪になって座った客は、古くから伝わる茶の湯に浸る準備をする。

茶の湯に浸る。穏やかな水の流れる音が空気を満たす、

茶葉が煎じられるにつれ、静寂と瞑想の雰囲気が漂う。

一挙手一投足が儀式であり、一口一口が官能的でスピリチュアルな体験となる。茶道は内なる旅となり、自分の最も深い本質と、私たちの住む宇宙とのつながりを取り戻す機会となる。

最も深い本質と、私たちを取り巻く宇宙と。この影に包まれたシナリオでは、すべての所作が美への呼びかけとなる。

身振りのひとつひとつが、美と静寂への呼びかけとなる。手は優雅に動く。

何千年もの間、敬虔な注意を払いながらお茶を点てる。茶葉は、古代の秘密の守護者のように土のような、包み込むような香りを放つ。

お茶のひととき。こうしてお茶の時間は神聖な儀式となる。

現在という永遠の中に身を浸すのである。

 この夜の静けさの中で、魂は軽やかに漂っている、蝋燭の炎と壁に映る移ろう影に踊らされながら。

この外界の喧騒から遠く離れた夜の静寂の中で、この茶道はゆっくりと今この瞬間に感謝し、人生の芸術にどっぷりと浸かることの大切さを教えてくれる。

完全に人生の芸術に浸る。静かな夜と、口に広がるお茶の渋みと新鮮な味わいが、この茶道の主なインスピレーションとなっている。


朧月こと瑞香のインスピレーションの源である。彼女の作品には

かつては祝祭の夜の静かな見物人であった月が、彼女の作品では主人公となる。

驚くほど純粋で白い輝きを放つ。朧月のそれはカメレオンムーン、宇宙から静かに観察している風景によって変化する月。

氷に覆われた恒星空間から、静かに観察している。

実際、月も自分自身を楽しみたがっているかのようだ。

明るい太陽の暖かさで暖まりたいとか、桜の美しさを観察したいとか。春の朝、風が運んでくる桜の美しさを観察したいのだ。

その朧月の月は、カメレオンのように、観察する風景の陰影を反射して輝く。

氷のような恒星空間に静かに浮かんでいる。まるで月が地上生活の喜びと美しさを観察している。月はまるで、人間という存在をこれほどまでに儚いものにしている

人間の存在をとても貴重なものにしている、はかない瞬間。

 しかし、永遠の天空に閉じ込められ、天の孤島に閉じ込められ、自らを変容させ、決してありえないものの形をとる。その姿を変える。


『Yellow』では、衛星は空で最も明るい星、太陽に似てきて、黄金色に輝く。空で最も明るい星、太陽に似てきた衛星は、自らを黄金色に染める。あらゆる浮き彫り、あらゆるクレーター、あらゆる物質の窪み。色素で満たされる。岩石やレゴリスは熱を帯び、それ自身の光で輝いているように見える。光で輝いているように見える。『イエロー』では、月は「それ自身」の光を持つようになった。もはや太陽から借りた明るさはもういらないのだ。朧月は、自分が望むように、いや、月自身が望むように、月を形作ることに成功した。

それはまるで、作家が月を招いてお茶を楽しむかのようだ。

月とお茶を楽しむ。

画家はもはや月を孤独な観客としてではなく、彼自身の夜の不可欠で根源的な要素として感じさせたいのだ。

夜なのだ。そして、闇が深まり、月が道を照らすとき、私たちは茶道の魔法に身を任せる。

茶道の魔法に身を任せ、茶葉の秘密と無限の夜に身を任せるのだ。


リサ・ガレッティ